あなたは覚えていますか?
初恋の不器用な自分を。
あなたは覚えていますか?
失恋を知った時の止めどなく流れる涙の味を。

episode T 【空】の場合

→模造品

水端 空。24歳。独身。
大学を出て2年。やっと仕事にも慣れて一人暮らしも様になってきた。
私は銀行員をやっている。
お金を取り扱う仕事だから、最初はかなり緊張と不安でいっぱいだった。
「0」を一桁でも書き間違えると、とんでもなく多くなったり少なくなったりする。
とりあえず、今まではそんな事はなかった。
今、疲れる事といえばおしりが痛い。とにかく。
一日中座っているのでおしりが痛いのだ。

そんな事はさておき、私には恋愛経験というのがない。
好きな人はできるのだが、いつもふられるか人のものだったりする。
今の職場に来た時も、一人好きになった人がいるのだが、既婚だった。
友達も何人か紹介してあげるといってくれるのだが、こんな経験ばっかだから億劫になって最近は好きな人もできない。
多少男性恐怖症になりかけている。無様だと思う。

今日もいつもと同じ平凡な一日が過ぎようとしていた。
そこに一人の女性が来た。
「…もしかして、空ちゃん?」
そう聞いてきた女性は、見覚えのない人だった。
「はい、そうですが。どちら様でしたでしょうか?」
「覚えてないのも無理ないわねぇ。章二の母っていったら思い出してくれる?」
章二…。その名前には聞き覚えがあった。小学校の時にいつも遊んでくれた男友達。
私の初恋の人…。
「…章二君のお母さん?」
「そうそう。思い出した?」
「はい。お久しぶりです。小学校卒業以来だからもう12年ぶりですね。」
「そうねぇ。空ちゃん、こんなに立派になって。」
「いえ、まだまだですよ。」
「そんなことないわよ。章二なんか定職に就かずにふらふらバイトしてるんだから。」

「お疲れ様です。」
今日も一日、無事に仕事を終えた。
「ねぇねぇ空、この前いいレストラン見つけたんだけど一緒にいかない?」
着替えていると美和子が話しかけてきた。美和子は私の親友といってもいいぐらい親しい仲だ。
私と違って社交的で、携帯のメモリーは私より200件ぐらい多い。
どこにいても男女問わず目を引きつけられる程の美女である。
「自分が見つけたような言い方して。また雑誌で見つけてきたんでしょ。」
「まぁ、そうなんだけど、実はそこのウェイターがかっこいいのよ。」
「へぇ…」
あまり乗り気じゃなかった。
「もう、また男の話になったら控えめになるんだから。」
「だって美和子、すぐ気に入った男性声かけるんだもん。」
「だってじゃないって。空は控えめすぎ。そんな空を変えてくれるのはズバリ恋だっ!!
よし、じゃ決定という事で早く着替えていこう。」
「もう、勝手に決めないでよ。」
「いかないの?何か用事ある?」
「別にないけど…」
やっぱり少し男は恐い。
「ないならいいじゃん。行くよ」
半ば美和子に強制的に連れ出される形で、そのお店に行く事になった。

「『ラ・ファミリア』か。いい雰囲気ね。料理もおいしいし。」
「でしょ。」
「美和子もたまには当たりを引くんだね。」
「たまには、は余計よ。あ、あの人だ。すいません。」
「お待たせしました。何でございましょう。」
「あの、この後って暇ですか?」
「ちょっと美和子…」
いくらなんでもストレートすぎだと思った。
「えっ。はい、まぁ一応。」
「もしよかったら仕事の後飲みに行きませんか?」
「はい。自分で構わないなら。」
「ぜひ。あなたの友達も誘ってこの子と私と4人で飲みましょう。終わったらこれに電話してください。」
そういうと美和子は台にあった紙に携帯番号を書くと、それを渡した。
「わかりました。なるべく早く行きますので。」
そういうと、ウェイターは通常業務に戻っていった。
さすがと言うか、私にはとうていできない美和子専用の技だ。
「と、いう事で空も行くのよ。」
「え…」
「当然でしょ。4人っていったじゃん。」

流れで来てしまった。男の人としゃべることもままならないのに、孤独を感じてしまう。
それが余計に辛かった。
でもまあ、当然というか自然の摂理というか。
「でもさぁ、その上司がまた偉そうでさ…」
美和子はとにかく場になれるのが上手いし早い。
感心しながら一人で飲んでいると
「どうしたの?何かイヤな事でもあった?」
ウェイターの友達の方が話しかけてきてくれた。
「大丈夫です。場になれるのが苦手で…」
そういって苦笑いをした。
「へぇ、笑うとかわいいね。」
思いっきり顔が熱くなった。
初めて男の人にほめられた。
「あ、あああああああああああああありがとうございます。」
「はははは、『あ』言い過ぎだよ。」
「ご、ごめんなさい。」
「くっくっく、何で謝るかなぁ。」
彼は腹を抱えて笑っている。かなり恥ずかしい。私が言葉をなくしていると
「ごめんごめん。笑いすぎた。でも本当にかわいいよ。」
「本当ですか?」
「うん。俺、君の方が好きだな。ねぇ、番号教えてよ。」
「はい。」
初めて私の携帯に男の人の番号が入った。

今日はいつもより化粧に気合いが入る。
今日はとっておきの服を着ようと思う。
今日は彼との初デート。
彼の名は雅也というらしい。いつも雅也君と呼んでいる。
ちょっと寝不足気味だが、しょうがないかもしれない。私の人生での初デートだから。
昨日はよく眠れなかったのだ。

彼は待ち合わせ時間の10分前に現れた。
「ごめん、待った?」
「いえ、さっき来たところです。」
実は30分前には来てたんだけど。
「どこいこっか?」
「雅也君にお任せします。」
「うーん、お任せかぁ。一番難しい注文が来たなぁ。」
「じゃあ、映画とか。」
「何かみたいものとかあるの?」
「『デット・ドライブ』とかは?」
「それが見たいの?」
「今、話題になってるらしいんだけど、私まだ見てないから。」
「じゃあ、それ見に行こうか?」
「うん。」

「大丈夫?」
「だいじょばないかも…。頭の中でさっきのシーンがフラッシュバックする…。」
雅也君の意外な弱点を見つけてしまった。
それはさっきの映画の事…

「『デット・ドライブ』大人2枚。」
「3600円になります。」
「あ、俺出すよ。」
「ありがとう。」
雅也君におごってもらって、席に着いた。
「あのさぁ、タイトルからしてイヤな予感がするんだけど…」
「なに?」
「もしかして、この映画ホラー?」
「うん。私ホラー大好きなの。」
「…でない?」
「えっ?でももう始まるよ。」
「出よう。見れない、ていうか見たくない。」
そういって雅也君が立とうとした時、ブザーが鳴って映画館が暗転した。
後ろのおじさんが
「おい、立ってたら見れないじゃないか。座ってくれ。」
といったので、雅也君は渋々座った。
「どしたの?」
「いや、もういい。覚悟決める。」
そういって雅也君は無口になってしまった。
私は夢中で見ていたので、途中どんな顔してたかはわからなかったが、終わった時の雅也君の顔は真っ青だった。

「ごめん。俺ホラー大の苦手なんだ。」
「最初からそういってくれればよかったのに。ごめんね。」
「いや、空ちゃんは悪くないよ。いわなかった俺が悪かった。あー、かっこわるいところ見せたなぁ。」
「じゃあ、次は雅也君が決める番だよ。」
そうして、その後のデートは何事もなく、楽しく過ごした。

やがて、何回かデートを繰り返し
「空、俺とつきあってくれ。」
「…もちろん。」
告白された。嬉しかった。私も雅也君の事が大好きだった。
性格も前と変わった。前向きになったし、明るくなったような気がする。
美和子も
「最近、空変わったね。やっぱり空に恋させてよかったよ。」
といっている。
ちなみに美和子はと言うと、
「私、あの人とはあわなかったみたい。別の人を捜すわ。」
なんていっていた。

ある日、私は雅也君が一人暮らしで自炊していると聞いて、雅也君の家へ食事を作りに行く事になった。
私の家庭は幼い頃に母を亡くしたので、長女の私がほとんど家事をしていた。
だから、料理の腕にはちょっと自信があった。
「ごめんね、汚い部屋で。」
といっていたが、男の部屋にしては(たぶん)綺麗な方だと思う。
整理整頓ができてるってかんじだった。
「おまたせ。」
今日のメニューは彼のリクエストで『オムライス』だった。
「おっ、完璧じゃん。特にこの卵のふわふわ感がたまらねぇな。」
そういってがつがつ食べてしまった。ご飯粒ひとつ残さずに。
とても幸せだった。

そんな日がずっと続くと信じて疑わなかった。
でも、恋はそれほど甘くなかった。神様もとても意地悪だと思う。

始まりの日は雅也君とデートしている時だった。
雅也君に一人の女性が話しかけてきた。
私にそっくりな女性だった。
髪も私と同じでロングヘアーのストレートだった。
「雅也、誰なのその女。」
「敬子。お前には関係ないだろ。お前とは別れたんだから。」
「いつ別れたのよ。」
「いつってもう1年も前じゃないか。」
「あなたが別れた気になってるだけじゃない。私、まだ別れたつもりないから。」
「今俺は、空と付き合ってんだ。」
何かイヤな予感がした。それ以上関わりたくなかった。
「あなたなんかに雅也は渡さないから!」
私に思いっきり怒鳴りつけた後、その女の人は歩き去っていった。
「ごめん、イヤな思いさせちゃったな。大丈夫、俺は空一筋だから。な?」
「うん。」
私はその雅也君の言葉を信じるしかなかった。

さらに次は私の誕生日の日だった。
冬の寒い日だった。
雅也君は私にオレンジ色のマフラーを送ってくれた。
「これ、雅也君がいつもつけてるマフラー。これくれるの?」
「そう。実はこの前店に寄ってみたら、同じのがあってさ。」
雅也君もそのマフラーをつけていたことがあった。私はオレンジ色が好きだったので、
そのマフラー、いいねってほめた事があった。
「この前、空が欲しいっていってた事思い出してさ。」
「ありがとう。大事にする。」
「大事にもして欲しいけど、できればつけて欲しいな。毎日。」
「うん。じゃあ早速巻いてみる。…どう?」
「いいじゃん。似合ってるよ。」
「本当にありがとう。嬉しい。」
「そんなに気に入ってくれたら、こっちもプレゼントしたかいがあるってもんだよ。」
最高の誕生日だった。なのに…

そして決定的な日は来た。
彼の部屋で、何故か幼い頃の話で盛り上がっていた。
そして、小学校の頃の雅也君の初恋の話を聞いた時だった。
いつもオレンジ色のマフラーをつけた長い髪女の子。
料理が上手で、遊びにいくたびに、お菓子を作ってもらった。
「なんか、お前みたいだよな。」
その言葉を聞いて、全てが繋がってしまった。

髪はロングヘアーでストレート。

前の彼女は私にそっくりな女性。

彼の初恋の子は料理が上手。

オレンジ色が大好きで、いつもオレンジ色のマフラーをつけていた。

全てが私とそっくりだった。
まるで、精巧に出来た私のマネキンの様だった。
私は、彼の初恋の子の模造品なの?
「…私は模造品じゃないわ。」
「えっ?何?聞こえないよ」
「私はあなたの初恋の人の模造品じゃないわ。」
「そんな事、いってないじゃないか。ただの偶然だよ。」
「顔がそっくりで料理が上手でオレンジ色のマフラーを毎日つけてきてくれる女の子なら誰でもいいんでしょ。」
「ちがうよ。それは…」
「言い訳なんて聞きたくない!」
そういって、雅也の家を飛び出た。
その時、この恋が音を立てて崩れていくのがわかった。
ずっと泣き続けた。涙がかれるまで。
涙は止まらなかった。

「もう、雅也君とはつきあえない。」

それから2ヶ月が経とうとしていた。
雪はすっかりとけ、春の陽気が漂っていた。
季節は冬から春へと移るのに、私だけ取り残されたようだった。
あんなに好きだったのに…。
そんな私に美和子が見かねて
「そんなに引きずってたらせっかくいい女になってたのに、逆戻りしちゃうぞ。彼はあきらめて、次の恋をしましょ。」
「そうだね。」
もうあきらめるしか…。

そんな矢先だった。
「空ちゃん。お願いがあるの。」
神妙な面持ちでやってきたのは章二君のお母さんだった。
「どうしたんですか?」
「空ちゃんにしか頼めない事があるんだけど、引き受けてくれる?」
「私だけに、ですか?はい。私にできる事なら。」
「このメモに書いてある日に空ちゃん達がいた小学校であって欲しい人がいてね。」
「会って欲しい人?章二君が?」
「そう。どうしても会いたいって。でも、自分で渡す事ができないからって、私に押しつけてきて。」
「はい。会うだけなら構いませんよ。」
「ごめんね。わがままいっちゃって。」
なんで今頃章二君が私に?会いたいなら直接私に会いに来たらいいのに。
「章二君って誰?」
「なに?聞いてたの、美和子。」
「ごめんごめん。で、いい男?」
「小学校から見てないからわからない。でも、私の初恋の人だったんだ。」
「へぇ。格好良くなってたりしてね。よかったじゃん。新しい恋のきっかけ、できたじゃん。」
「そんな大げさな。」
まだ完全に立ち直った訳じゃなかったし、そんなに早く恋ができるわけない。
でも、ちょっとは気が紛れるかな。

日曜日の午前10時。
待ち合わせの小学校に来ている。
この小学校の庭には、5本の桜が植えてある。
『卒業式の日、その真ん中で告白すると、幸せになれる。』なんて話がこの小学校でもあった。
私は章二君に告白しようと思ったのだが、卒業式の日に風邪で休んでしまい、それっきり私立の中学に入った
章二君に会う事はなかった。
懐かしいな、なんて想いながら待っていた。
「空ちゃん!」
向こうから現れたのは、章二君じゃなかった。
「…雅也?」
一瞬混乱したが、冷静になってくると、腹立たしくなってきた。
「何で雅也がここにいるのよ。だいたい、私、あなたとは別れたはずよ。今頃顔見せないでよ。」
「…それ、誤解があるんだ。」
「なによ。」
「これ、見てくれる?俺の小学校の時の卒業証書。」
「なんで?」
訳がわからなかった。
「いいから。開けてみて。」
中から出てきた書状には

『川本 章二』とかかれた卒業証書と、一枚の写真がでてきた。
写真には、章二君と私…。

「俺、章二っていうんだ。本当は。だから、俺の初恋の人は、空なんだよ。」
「えっ…」
「雅也っていう名前は、偽名なんだ。」
「何で…」
「俺も最初びっくりしたんだ。空っていうから、もしかしてとは思ったんだけど。」

髪はロングヘアーでストレート。

彼の初恋の人は料理が上手。

オレンジ色が好きで、オレンジ色のマフラーをずっと巻いていた。

それは、私の事だったんだ。
オリジナルだったんだ。

「空、卒業式の日休んでたからさ。言いそびれてたんだけど、今、いっていいかな?」
「うん。」
雪がとけて、春の陽気が漂っていた。
私は、春の木漏れ日のさす、5本のピンク色の桜の下で幸せになった。

「空、俺と付き合ってくれ。」

水端 空。25歳。今、幸せの絶頂です。


戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送